アラキ工務店 京都市右京区:京町家、古民家、大工さんと建てる家

アラキ工務店 株式会社 アラキ工務店

癌末期に立ちあって・・・

 住所、名前はいずれも仮名です

 私が、山田営業支部の拠点長をしていた頃の話です。
 拠点長というのは、いわゆる「生保レディー」を数十人抱える営業所の責任者のことで、私が赴任していた山田営業支部は40人あまりの女性が勤務していました。
 それは2月、関東地方に久しぶりの雪が降った直後の事です。

 土曜日の朝、営業所は休みですが、普段たまった書類の整理に出勤していると、矢島職員が私に話しかけてきました。
 「支部長さん、ちょっと相談にのってほしいんですけど・・・」
 「どんな事だい?」
 「利根市にいるお客さんのところに一緒にいって欲しいんです。その人は、もう乳癌末期であまり時間がないと医者にいわれている人なんです。」
 「で、何故一緒にいかなくちゃならないの? 訳を教えてよ」
 矢島職員は、私にいっぱい話して聞かせてくれました。


 お客さんは吉田さんといい、まだ、40代半ば。3人兄弟で、利根市の実家に住む兄と山田市近郊に住む妹がいます。
 両親に勧められるまま、お見合いをし、結婚したものの、夫はまったく彼女に無関心でした。彼女が胸の痛みを訴えた時も、「風邪でもひいたんだろ」といって、病院にも連れていってもらえなかったし、家で倒れて緊急入院してからも、見舞にもこなかったようです。
 そのうえ、別の女性と付き合うようになり、ほとんど連絡もこなくなってしまったそうです。
 彼女には、小学校2年生の男の子がいるのですが、夫がぜんぜん面倒をみてくれないので、仕方なく、妹夫婦のもとに預けられているのでした。
 彼女は、15年くらいまえから、死亡保険金3,500万円の生命保険に加入しているのですが、受取人は息子になっています。もし、彼女が亡くなれば、息子に保険金が入ってきますが、未成年のため、親権者である夫が受け取らざるを得ません。
 夫が息子を養育してくれるなんてまったく考えられません。吉田さんは息子の将来をひどく心配しています。せっかくの生命保険。これを息子の養育費にするために、生命保険の受取人を変更したいと考えておられるのです。
 吉田さんはもう自分の命が後わずかだというのを知っています。それで、最期を実家で過ごしたいという強い希望で、息子ともども利根市の兄のもとにお世話になることにしたのでした。


 相続の問題や、死亡直前の受取人変更手続きに、ミスがあるといけないのでいっしょに行って欲しいとの事なのです。
 死亡直前の受取人変更というのは、慎重にやらないといけません。というのは、夫が「手続き無効」と訴えた場合、本人の意思が確かなのか証明しなくてはならないからです。3,500万円のお金が動きます。私は、以前医者の立会いのもとで死亡6ヶ月前に変更し、無事に支払いができたことを思いだし、医者の立会いをお願いしました。
 医者は「2時間も離れたところに行けない。それなら意思がはっきりしているという証明を出そう」と快く承諾してくれました。
 さて、週明けすぐに矢島さんと一緒に利根市まで同行訪問をすることになりました。
 利根市の実家は田んぼの中の一戸建てで、家の北側に残雪が10cmほど積もっておりました。

 招き入れられて家に入ると、山田さんは胸を隠すようにして机に寄りかかって座っておられました。
 どうやら、胸からリンパ腺を通じてあちこちに転移しているらしく、お伺いしている間中、体を起されることはありませんでした。
 実兄の子供たちだけは元気に走り回っていますが、なんか笑ってはいけないような雰囲気があたりにただよっておりました。
 家の中には実兄家族・実妹家族と吉田さん・その息子がそろっています。
 一通り世間話が済んだ後、私はこう切り出しました。
 「受取人変更はこちらの書類にご本人の署名捺印を頂き、立会人の皆さんの署名捺印をあわせて頂戴すれば結構です。お医者様からは、意思がはっきりしているという診断書を頂戴する予定になっております。法律的には全くご心配には及びません」
 一同ほっとした様子。
 「ただ、受取人を誰にするかという事ですが、保険金を子供の養育費にあてるのでしたら、『子供さんを引きとって育てる人を受取人にするのが一番です。さもないと、受け取った人が養親にお金を渡す時に贈与税が掛かってしまいます。で、子供さんを誰が引き取られますか?」

 妹さんは、小学校の子供が2人いるので3人もみれないといって、躊躇しています。
 お兄さんは、田舎なので子供を引き取っても環境が悪いといって、躊躇しています。
 なかなか、結論がでません。
 「2人で、同額づつにして、子供の養育は後で相談するというのはどうですか?」
 これはダメです。
 「私(妹)がお金の管理を責任もってやります。受取人をいったん私にしてください」
 う~ん。とりあえず、年間の贈与枠を超えないように今後注意するということで、しぶしぶ了解しました。この話しのときに吉田さん本人もいたのですが、その心中を思うと、子供さんが不憫でなりません。ただ、夫のところにだけはお金がいかないようにして欲しいと何度も訴えられていたのを今でも思い出します。

 こうして、手続きが完了し、本社に書類をだした2週間後、山田さんは消えるように亡くなられました。
 気力だけで、生きておられたんでしょう。ほっとされたんだと思います。
 でも、結局、兄妹は子供を引き取らず、子供は70歳の父親のところに引き取られていきました。
 私は、子供の事が心配でしたので、保険金の支払い請求手続きの際、その保険金を15年の一時払い養老にし、受取人を子供にしてもらおうと考えておりました。そうすると、受け取る時は既に成年になっているので、親権者ではなく本人にお金が行くからです。
 保険金は山田さんの息子さんのものですから・・・

 亡くなられて初七日が過ぎた頃、矢島さんと一緒に妹さんの家に伺いました。
 そこで、びっくりすることを言われました。
 「実は、保険金のうち半分を住宅ローンの返済にあてたいんです。丁度この春、契約してから5年目を迎え、返済額があがります(いわゆるステップローン)。主人の会社も不景気でボーナスもあまりありません。この保険金がないと、返済に困るんです。姉の子供が成人するまでには、必ず返します。ですから、一時払養老に加入するのは見あわせたいのです」  「それはないんじゃないですか。話しが違いますよ。このお金は山田さんの息子さんの養育にあてるはずだったでしょ!?」
 「あの子には遺族年金が入ります。それで今は何とかなると思います」
 「いや、そういう意味じゃなくて、お姉さんとの約束があるじゃないですか!!」
 「でも、私の家族も生活がかかってるんです。保険なら私が死亡保障タイプのものに加入しますから」

 矢島さんと私は、帰りの車の中ではずっと無言でした。で、営業所に帰ったとたん矢島さんは泣き出してしまいました。
 私も思わずもらい泣きをしてしまいました。
 「でも、他に方法はなかったじゃないか。夫に行くよりも良かったと考えないとね」
 「でも、でも、これではあんまり・・・」
 私は、しばらく返す言葉もありませんでした。

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