職人今昔
3.京町家
私は小学生の頃、中京区(京都御所のすぐ南)に住んでおりました。
運良く京都は戦災を免れ、終戦後も十年間くらい町家が軒を揃え、京都らしい庶民的な町並みが形作られていました。しかし、戦後の持家政策や全国一律の建築基準法の影響で、町家も年々歯がぬけるごとく減っていきました。私は町家を守っていくのはそこに実際に住んでいる町衆であり、家を修繕する作事方ではないかと思っています。
私は京町家は究極の木造住宅であると考えております。狭い空間にもかわらず、町並みを作り、庭を作り、商いと住まいが共存できる。そうした建物はほかにはありません。にもかかわらず、一般に町家は「暗い」「寒い」「使いづらい」と言われます。そのため、本当はもっと住みたいにやむなく手放してしまう方々がいっぱいおられるのです。
これは、町家に住んでいる人たちに、町家の良さや住い方、安い改修方法や修繕の仕方を伝えてこなかった私たち作事方の責任だと感じています。昔は、町家には必ず出入りの大工がおり、かかりつけの職人が家のメンテナンスをし、風を通しておりました。施主と職人が一体となって、家を次の代まで長持ちさせるために、痒いところに手が届くお付き合いをしていたといえます。
また、町並みを保つため、二階の高さが変わっても一階の軒の線を揃えたり、隣焼しないような工夫を町内でとりくんだりもしました。正月や地蔵盆といったハレの行事には、町内役員と作事方が準備をしたり、盛り上げたりしたものです。私は、家族の心が通い合う調和のとれた家並みを取り戻したいと思っています。明治・大正・昭和と時代を通じて修繕し続けられた町家を、壊すことなく平成の時代なっても修繕し続けたい…


